太田昌国『極私的60年代追憶 精神のリレーのために』をいかに読み/応答するか

後藤 元(ルネサンス研究所・関西研究会運営委員)


 研究会では、本レジュメの後に添付している太田の著作からの抜粋を紹介した後、本レジュメの 報告を行い、討議に入った。 1990 年代末まで、私自身が上記<マルクス=レーニン主義の基本路線>の信奉者であった。が、 00 年代に入ってから疑問を持ち始め、以降全面的な見直し=自己点検を余儀なくされた。本報告 はこの間の自己批判と新たな路線の模索の中間報告である。今回取り上げた太田の著作の論点は、 出発点の違いにも関わらず、私にとって大きな励ましであり、乗り越えるべき課題である。 変革主体の暴力が敵との相似形に陥るのは蓋然的ではあっても必然的ではないこと、これまでの 歴史的経験が示している闘う主体の相似形に陥らないための試行錯誤とその教訓は多様かつ豊富 でそこから学ぶべきことが多くあること、という指摘についてはその通りだと思っている。問題 は、蓋然性から必然性への転化をどのように防ぎうるかである。 新左翼党派運動の路線の狭さについては、半世紀後の現時点から振り返ると、当時の世界的な情 勢とともに、レーニン「国家と革命」の道具論的国家観に強くとらわれていたことに大きな要因 があるように思われる。陣地戦を主要な戦術とし、社会・経済闘争と政治闘争の分離と結合を通 じたより広く・深い主体形成戦を行うべきであった。21 世紀の現在においても、依然として同様 の狭い路線から抜け出せない新左翼党派もいるように思われるが、主体のありようと権力の作動 様式が大きく変化する中で、全くの機能不全というべきである。


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