後藤 元(ルネサンス研究所・関西研究会運営委員)
そもそもレントは、私的所有権が財を人為的に希少にすることにより発生する。土地所有 がレント請求権を持つのは、土地が共有財産でなくなったからでしかない。では、資本所 2 有の場合は?貨幣はいかなる意味で希少であって、なぜレント請求権を持つのか?貨幣所 有に対し価値を譲渡さなければならないのはなぜか。 労働価値説的に見れば唯一の剰余価値生産の現場以外に、レントを最終的に実現させて くれる場所はない。労働が唯一の価値源泉である限り、レントは労働が生産した価値の横 取り以外の何者でもない。実践的な回答は、労働価値説を資本が諦めること。労働が価値 を生産しないとするのではなく、労働時間がその尺度であるという原理を捨てる。それにより、土地と同じように私有可能な共有財産を一挙に作り出すことができる。固定資 本に結合されない労働全般に、賃金ではなくレントの請求権を認めればよい。人間そのも のを利子生み資本にする、と言っても良い。人間の活動全般を「共有地」化し、それぞれ の活動に私的所有権を認め(人間の「民営化」)、全ての活動にレンタル料を付す。かつて 本源的蓄積が労働を擬制的な「商品」にしたとすれば、今度は労働を擬制的な「資本」に すること。人間だけでなくてもいいだろう。これまで人々が無償のアクセス権を持ってい たもの(水資源、技術、「文化」…)に排他的所有権を設定し、人為的にそれらの希少性を 作り出し、レント請求権を認める第二の「本源的蓄積」を行うのだ。
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