「あたかもすでに自由であるかのように」 ー デヴィッド・グレーバーの遺産をどう継承するのか?

酒井隆史(大阪府立大学教授、社会学、社会思想)


 「もう一つの世界は可能だ」という言葉がある。1990 年代後半からゼロ年代にかけて世界的に展開した「グローバル・ジャスティス運動」のスローガンである。

 その時、世界では、巨大企業や金融、先進諸国の政府が結託して、途上国に膨大な負債を

押しつけ、融資や返済の緩和の条件として、社会保障や医療教育予算の削減、貿易の自由化、国内の規制緩和を要求していた。もちろん犠牲になるのはその国の特に弱い立場にあるひとである。のみならず先進国内でもおなじことが進んでいた。これが冷戦終結後、つかの平和の幻想がさめたあとの冷厳な現実だったのである。

 労働者階級の両親をもつ NY っ子のデヴィッド・グレーバーは、人類学と歴史学に惹かれ、一二歳の頃にマヤ文字の解読に熱中する。ハーバード大学のマヤ学者の目にとまり将来が約束されるものの、シカゴ大学で人類学を専攻した。博士論文を書き終えた頃、グローバル・ジャスティス運動と遭遇する。1999 年のシアトルの反乱である。アメリカ圏の貿易自由化に反対して WTO 総会の開催地シアトルに世界中の人びとが集まった。そして、先住民、自然保護団体や女性の権利組織、労働組合、若者たちが集まって激しい抗議行動をくり返した。その結果この WTO のもくろみは撤回されることになる。


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