2020年2月公開シンポジウム

テーマ れいわ現象~左派ポピュリズムの登場?

         

パネリスト

  伊藤公雄(京都大学名誉教授/社会学)

  中村勝己(中央大学ほか兼任講師/政治学)     

         

日 時 2020年2月8日(土)

場 所 高槻市立生涯学習センター第2会議室

    

【趣意書】

1.れいわ現象の根拠

 

 「生きててくれよ!死にたくなるような世の中やめたいんですよ」
れいわ新選組代表山本太郎が時に泣きながら訴える街頭でのスピーチは、聴衆一人一人の胸に突き刺さる。それは、政治を変えたいという彼の本気度が伝わってくるからということもあるだろうが、同時に、彼の発する言葉が「生きづらさ」という言葉に象徴されるような日本社会の現状を的確に捉え、その中で必死に生き抜いている人々に届く言葉だからだろう。
1982年に政権を握った中曽根内閣の下で開始され、2001年の小泉政権以降本格的に進められた新自由主義政策の結果、1980年代には一億総中流と言われた日本社会は、90年代以降貧富の格差が増大する社会に変容した。この新自由主義の流れは、資本主義のフォーディズムからポストフォーディズムへの移行と対応している。ポストフォーディズム的生産においては、シンボリックアナリストと呼ばれるシンボル(データ、言語、音声、映像表現)を操作する一団の人々が主要な役割を果たすが、こうした人々が、システムとイメージを操作して大規模な利潤を企業にもたらし、高額の報酬を受け取る。その子どもたちも大学進学から同様のコースへ進むことが保障されるため、世襲的身分として成立していると言ってよい。他方、非正規労働者は不安定な雇用と低賃金が常態化し、文字通り使い捨てられる。派遣労働者は職場の中でも孤立し、差別的・非人間的扱いを受けることも多い。将来を見通すことが困難で、家族も持てず、子どもを持ったとしても十分な教育を受けさせることができない。
 1980年代までの日本のフォーディズム=福祉国家体制は、第3世界の搾取と収奪を土台として、世代をまたぐ労働力の再生産を旨とし、労働者の高賃金・終身雇用=大量消費とそこから外れた人々への福祉を曲がりなりにも実現してきた。だが、今や国家と資本に管理=保障されてきた生は終焉し、下層(「アンダークラス」「B級市民」「奴隷」など呼び名はいろいろあるが)の人々は死ぬがままに任せられようとしているのである。
 山本の言葉はこうした人々に向けられている。そして価値増殖を自己目的化する、資本主義の論理の最底辺に位置づけられる障がい者を基準とした社会の再構築を志向する。「生きているだけで、あなたには価値がある」。これは、本質的な資本主義批判の言説である。剰余価値の搾取を旨とする産業資本主義の論理とも、ましてや本来共有財であるべき「資産」を貸し付けるだけで利息その他のレントを収奪する金融資本主義の論理とも相いれない。たとえ資産を持っていなくとも、労働しなくとも、労働できなくとも、存在するだけで価値があるという力強い宣言は、資本主義を支える価値体系を根底から崩して見せ、生産性の論理に取り囲まれて窒息しそうになっている「下層」の人たちにつかの間の生きる力を与えただろう。これが、「れいわ現象」発生の根拠である。

 

2.れいわ新選組の評価


 山本太郎は総理大臣をめざしている。彼は街頭で「あんたの苦しみはなんだ?」と問われ「人を一刻も早く救いたいのに今自分の中に権力がないことだよ!」と返したという。選挙で国会議員を増やし、政権を獲得し、予算編成-執行を通じて政策を実現し、救いを必要としている人を救うこと。これがれいわ新選組のポリシーである。次期総選挙に向けて候補者100名の擁立に向けて、山本は全国行脚を開始している。山本が行くところ人が集まり、一大ムーブメントが起こる可能性がある。
 山本太郎はポピュリストである。山本は「権力者」に対抗する「敗者」を動員する言説に、「反原発」「辺野古基地建設反対」「障害者支援」「DV被害者支援」といった左翼的言説を接合しており、左派ポピュリストと呼ぶにふさわしい。しかし、れいわ新選組が巻き起こすムーブメントが、演説を行う山本とそれに拍手喝采を送る大勢の聴衆という構図にとどまっていれば、「有権者」が持つ力が、政党に代表され、権力となり、「有権者」は無力化するという「代表制のアポリア」から抜け出すことはできないであろう。一方で先の参議院選挙における、れいわ新選組の候補者の中には、障がい者運動、難病者運動、「コンビニ加盟店ユニオン」、派遣労働者運動などに当事者として関わっている人たちがいた。れいわ新選組が、これらの当事者と支援者による運動自身の支援・強化を政策化していくならば、当事者運動の横のつながりを媒介するプラットフォームとして機能するという新たな方向性を開く可能性がある。

 

3.自己統治する民衆の権力

 

 ここで主催者の政治的テーマを明らかにしておこう。
支配的な生産様式のポストフォーディズムへの移行は、生産の水平主義へと向かう「傾向」が資本の運動の論理を貫き、水平主義の力が社会のあらゆる場面で増大しつつあり、生産の主体も水平主義的な志向性を持つものとして形成されつつある。他方、国家や資本の垂直主義的な権力はヘゲモニーを維持しており、国家が自然発生的に衰滅することはあり得ない。こうした状況の中で、国家と資本による垂直主義を批判し、あらがうこと、あらゆる場面で水平主義を称揚し、促進し、助長すること、「民衆による共助」、民衆の自律・自己統治へと向かう動きを支持すること、水平主義的組織原理が垂直主義のそれにとってかわることを推進すること。それがわれわれのテーマである。
 資本に対抗し、資本をコントロールするために国家権力を「有効利用」する主体は、共助のネットワークを作り上げ自己統治する民衆である。自己統治する民衆が自らの集合的意志を国家に強制することを通じて、資本や国家によって管理されている水や電気、道路や鉄道、病院や学校、コミュニケーションプラットフォームやアルゴリズム、さらに言えば固定資本や金融システム全般を、すなわち本来共有財であるべき財や情報、システムを、それに関わる全ての人によって共同で民主的に管理する。
 こうした社会変革の展望は、既に世界各地の民衆の闘争により切り開かれてきている。2011年以降世界各地で繰り広げられた街頭-広場占拠闘争は2019年の香港で、SNSによる集合的意思を形成しながら、国家権力に対抗する、水平主義的な自己権力の形成にまで到達した。各地の民衆の闘争は互いに影響し合いながら現在も深化しつつあり、社会全体の自己統治に至るまでその歩みを止めようとしないであろう。日本における主体の現状を考慮すると、水平的な民衆闘争はやはり2011年以降散発的に形成されてきたが、いまだ大規模には顕在化しておらず、全体意思の形成の試みも実践されていない。その現出の時期と形態を予見することはできないが、「れいわ現象」は潜在的エネルギーの存在を実感させる。問題はこう立てられている。国家であれ、資本であれ、社会的組織であれ、垂直主義に慣れ親しんだ人々のなかから、どのようにして垂直主義なしに自己統治する主体が形成されるのか。それは本シンポジウムのテーマでもある。
2020年1月
ルネサンス研究所・関西研究会
 

ポストコロナの

パースペクティヴ(眺望)

​報告 新開純也 斎藤隆雄

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